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宇 和 島 市 |
江戸の初め、宇和島に入封した伊達正宗の長子・秀宗を藩祖とし、伊達家に代々伝わる逸品を公開している。ここでしか観られない貴重な品々は歴史ロマンにあふれる。なかでも婚礼調度は充実している。豪華な武具甲冑、絢爛で繊細な調度品や衣装、卓越した筆による書画などから、江戸時代に思いをはせたい。重要文化財の豊臣秀吉肖像画は、毎年5月頃のみ展示。 リアス式海岸による深い入り江の宇和海は、真珠養殖の盛んな地。ここでは産地として真珠の資料コーナー、装飾加工実演だけでなく、予約をすれば真珠製品の加工体験ができる。能動的な体験をして、句作りに活かしては? 多賀神社に隣接する資料館。性は宗教なり、哲学なり、性は道徳なり、科学なり、性は生命なり、人生なり、という思想から、性にまつわる展示物や浮世絵などを親子3代で集め、約5万点を収蔵、展示している。命に繋がる神聖さを汲み取って。 伊達政宗が詠んだ五言絶句、”馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何”にちなみ、伊達宗紀が隠居の場所として建造した池泉廻遊式庭園である。藤の名所として名高く、伊達家の家紋である竹は、珍種も含め18種類も植栽されている。 四国最大規模の日本庭園であり、広大な敷地に「山、里、町、海」の景観と約150種の花や草木が植栽されている。春には「ひらどつつじと海の家」、初夏には「花菖蒲と四阿」、秋には「滝ともみじ」、冬には「雪の管理棟」と、1年を通じて何度も足を運びたい。なかでも5月末〜6月上旬には、最大のイベントである南楽園花菖蒲まつりが開催され、3万株、25万本の花菖蒲が撩乱と咲き乱れる。11月には投句された俳句の優秀作品が展示される。 宇和島市街地から車で15分というアクセスとは思えない、雄大な自然と渓谷美が広がる。神秘的な奇岩群が天然の芸術品となり、活力を養えるようなスポットである。夏にふさわしい吟行地で、席題は滝で一句。 天まで届くような壮大な段々畑が岬の斜面に広がり圧巻。幅1m、高さ1.5m前後の畑が斜面に沿うように開墾されていて、400年前より石垣を積み上げた人々の営みがしのばれる。その畑で取れるじゃがいもの味は、絶品。平成19年に重要文化的景観の選定を受けている。 JR予讃線の終着駅、宇和島駅前には背の高いワシントンヤシが風に揺らぎ南国風情を漂わせている。愛媛特有のホンワカとした雰囲気を味わえる風景だ。 政敵の陰謀で非業の死を遂げた宇和島藩家老、山家清兵衛(やんべせいべえ)の霊を鎮めるため1653年(承応2年)に建立された。漁業を中心に産業の神、庶民の神として崇められている。社殿は荘厳。毎年7月23・24日に和霊大祭が行われる。 |
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大 洲 市 |
神南山の麓、稲荷神社境内を含めた紅葉山(稲荷山公園)として、名勝に指定されている。昔から紅葉の名所で知られている樹齢は約200年。紅葉の見ごろを迎える時期には露店が並ぶ。落葉で埋め尽くされた天然の赤い絨毯の上をサクリサクリと歩き、冬の入り口を満喫したい。 岐阜県長良川・大分県三隅川と並び日本三大鵜飼に数えられる。肱川のゆったりとした流れの中での乗船はもちろん、鵜、鵜匠、かがり火の火の粉の動きなど、句材に事欠かない。橋や川岸から視点をかえて眺めるのもよし。 おはなはん通り・おおず赤煉瓦館・ポコペン横丁おはなはんどおり・おおずあかれんがかん・ぽこぺんよこちょう 大洲藩加藤家の城下町として栄え、伊予の小京都と呼ばれるにふさわしいエリア。江戸時代の町並の幅員が残り、昭和41年のNHK朝のテレビドラマの舞台にもなったおはなはん通り、明治34年に大洲商業銀行として建築され、イギリス積みの赤煉瓦構造のおおず赤煉瓦館、ポコペン横丁で再現されている昭和30年代と、移りゆく時代を体験出来る空間である。 4月~11月の土曜、日曜、祝日には、観光人力車が走り、車夫から大洲に伝わる伝承なども聞くことができる。 河内寅次郎が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設した山荘。数寄屋造りの三建造物「臥龍院」「不老庵」「知止庵」は、匠の技を惜しみなく披露している。侘び寂びを極めた庭園には苔類にも珍種が見られ、肱川流域随一の景勝地を活かした借景が見事。日々の喧噪から離れ、静寂漂うなか感性をとぎすまし、閃きに期待。 標高820mにある名刹。境内は自然林に覆われておごそか。山頂からは石鎚山や四国連山、九州の山々を遠望できるが、とりわけ早朝の雲海からのぼる朝日は素晴らしい。3万本のアジサイがあり、梅雨の季節は情趣たっぷり。由緒正しく、藤堂高虎が持ち帰ったとされる朝鮮鐘もみることが出来る。 坂本龍馬脱藩の道・坂本龍馬脱藩の日記念館さかもとりょうまだっぱんのみち・さかもとりょうまだっぱんのひきねんかん 坂本龍馬は、脱藩の際に高知県梼原から愛媛県河辺・五十崎・大洲を経て瀬戸内海に出た。龍馬らが脱藩の際に通った道は、これぞ山道といった足場の悪い場所も多い。日本を変革する志を胸に秘め、落ち葉の中を駆け抜ける草鞋の音が今にも聞こえてきそう。大洲市河辺町にある坂本龍馬脱藩の日記念館は、入館無料で自由に入ることができ、龍馬が脱藩した日にスポットをあてて様々な展示をしている。付近の川では、初夏の夜に蛍を見られ優美な自然を堪能できる。 その姿が富士山に似ていることから名付けられた標高320mの山は、西日本有数のツツジの名所として有名で、ゴールデンウイークを中心に6万3000本のツツジが見事に咲き競う。八重桜も約3000本あり、春ののどかさを満喫できる。夕方からは、餌付けされたトンビが集まるトンビショーが面白い。 弘法大師が「ゆきなやむ浮世の人を渡さずば、一夜も十夜の橋と思ほゆ」という歌を詠んだ四国霊場唯一の野宿修行の場で、橋の下では横たわるお大師さまの姿がおがめる。 通称「赤橋」と呼ばれて親しまれている。バスキュール(跳ね上げ)式道路可動橋として有名で、建設当時は船が通るたびに開閉していた。肱川(ひじかわ)河口の青と橋の赤の鮮やかな対比が、際立った風景美を見せている。晴れた日の冬の朝は、白い霧を伴った冷たい強風「肱川あらし」が長浜大橋を襲うように吹き抜け、珍しい光景が見られる。 |
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鬼 北 町 |
鬼ヶ城連山の清流に沿っておよそ3キロ続く渓谷。春は新緑、夏は清涼、秋は紅葉、冬は銀世界と、四季折々の景色が楽しめる。近くに宿泊施設の成川渓谷休養センターや高月温泉もあり、ゆっくりと滞在できる。 |
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松 野 町 |
昭和初期の俳人、芝不器男の生家を、記念館として保存している。俳壇に彗星のごとく現れ、消えていった生涯。短いながらも輝きを放った人生を、直筆の短冊や日記帳などゆかりの品々から紐解いて。 愛媛県宇和島市から北宇和郡松野町にまたがる12キロにおよぶ大渓谷。ほぼ全域が花崗岩から成り立っているため、長年の浸食によって岩肌がツルリと滑らかで美しい。キャニオニングのメッカでもある。綺麗な水の流れに身を任せ、斬新な体験が目新しいアイデアを生む。 広い敷地に水族館、ガラス工房、レストランがあり、親水公園が隣接する複合施設で、体験イベントも充実している。おさかな館の水槽には、四万十川に生きる魚や幻の魚として知られる巨大魚アカメ、世界最大の淡水魚ピラルクが泳ぐ。毎日開催されるカワウソのお食事ショーや週末に行われるかわいいペンギンたちの散歩が人気。 |
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内 子 町 |
400年の歴史があるいかざき大凧合戦ゆかりの地にあり、全国に4ヵ所ある凧博物館の一つ。国内外の凧を常時400点ほど展示し、約3,000点の凧を収蔵している。毎年5月5日に開催される伝統行事・大凧合戦は、小田川を挟んで、大空に無数の凧が上がる。名物の「うどん喰い放題」は400円とリーズナブルで、河原で食べる開放感が美味しさを増す。観光客は貸し凧で凧合戦も体験できる。 石畳地区は農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」に選ばれており、水車の回る石畳清流園、屋根付き橋、棚田など、昔ながらのノスタルジックな農村風景が見られる。サクラの春、ホタルの飛び交う夏、実りの秋、雪景色の冬と、四季折々に味わい深い。古い民家を移築して造られた「石畳の宿」も人気だ。 標高750~1560m、秋には20種類以上の紅葉で彩られる渓谷。川沿いには1.5kmの遊歩道が伸び、高松宮殿下が名づけられた、美しい自然景観の藤見河原や五色河原、龍が住むと伝わる安芸貞渕など、みどころもいっぱい。初夏は新緑、秋は紅葉を楽しめるほか、動植物の宝庫で、俳句三昧。 木蝋製造で内子随一の名家となった、芳我家の分家屋敷。3年の歳月をかけ、創建時の姿に復原され平成23年11月に公開が再開した。重厚な漆喰の壁と名家らしい風格が漂う建物。客間・座敷・炊事場などから、当時の隆盛を極めた暮らしぶりを感じることができる。隣接する製蝋用具展示棟では映像を使った製蝋手順も見られる。 八日市・護国の町並み・内子座ようかいち・ごこくのまちなみ・うちこざ 八日市・護国の町並みは、木ろう生産で繁栄した町の面影を残す商家や民家などが約600mにわたって残る。芸術、芸能を愛してやまない人々の熱意で生まれた木造の劇場「内子座」は大正5年に創建された木造2階建て瓦葺き入母屋造り。恒例の文楽公演期間中は、柿おとし当時の活気や賑わいがよみがえる。催し物が無ければ、建物内を自由に見ることができる。奈落の仕掛けも見学可能。 |
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西 予 市 |
宇和運動公園うわうんどうこうえん 多彩な樹種が植えられている広大な総合運動公園。陸上競技場、体育館、屋外プール、テニスコート、ログハウス、キャンプ場などが揃う。春には1000本の桜が見事に開花する。また、鯉や水鳥のいる鑑賞池の周りには遊歩道が整備されていて、散策を楽しむ人も多い。住所/西予市宇和町卯之町3丁目517 問合せ先/TEL0894-62-4414(宇和体育館) ※体育館等の施設の利用は申請が必要。公園内の散策は入園自由。 広い館内には実物大復元模型の展示が多く、わかりやすく紹介されている。特に県内随一の繁華街である「大街道」を原寸大で復元したコーナーは、リアリティがあり、当時を知る人からも好評である。また、平成24年9月から始まった、弘法大師・空海の半生を和紙人形群で表現した常設展「密●空と海 ー内海清美展」も新たな魅力を提供している。 開明学校・卯之町の町並みかいめいがっこう・うのまちのまちなみ 開明学校は明治15年に建築された、現存する四国最古級の小学校舎。アーチ型の窓をもつ擬洋風のモダンな校舎の2階には当時の教室が再現され、明治初期の教材「掛図」などを展示している。これぞ学校という、明治の引き締まった空気感、向上心が伝わってくる。卯之町は、藩政時代に宇和島藩の在郷町として栄えた。シーボルトの娘・楠本イネや二宮敬作らも往来したであろう通りが残る。 江戸時代の後期の建築と伝えられている庄屋屋敷。大黒柱は、52cm角、高さ約10mもある松の巨木が使われており、せがい造りの大屋根など格式と威厳が感じられる。予約をすれば、研修・体験学習施設として利用できる。また、蔵で食事や喫茶、離れで宿泊(1日1組限定)も可能。便利になった現在の暮らしから離れ、野山に囲まれた茅葺き民家で静かにゆっくりと流れる時間に身をゆだねると、本当の豊かさとは何か教えてくれるようだ。 その昔観世音に念じたところ、山の嶺から清水が湧き出したとの伝説が残っている。 霊験あらたかな水を飲んで命を洗い、森林浴をして一句。 愛媛県と高知県の境にある標高1000~1455mの石灰岩の高原で日本三大カルストのひとつ。放牧場では、雄大な草原のなかで自由に草をはむ元気で愛らしい牛が見られる。どこまでも広がる草原の緑と石の白と牛の黒が色の対比をうみながらも、生命の調和が心地よく、優しい風景が穏やかにアイデアを紡いでくれる。 例年、7月第1日曜日に実施される奥伊予の奇祭。無病息災を祈る田休み行事で、田んぼ内で行われ牛や演者は文字通り、どろだらけとなる。日頃は静寂に包まれている地区に、活劇のドタバタや大番の悪乗りに会場には大爆笑が響きわたる。生活に密着したユーモアあふれる祭りで、演者たちの満面の笑みから元気がもらえる。 野村農業公園・ほわいとファームのむらのうぎょうこうえん・ほわいとふぁーむ 酪農の里・野村町でとれた新鮮な牛乳を使い、無添加にこだわって、アイスやヨーグルトなど乳製品の製造・販売を行う施設。ヨーロッパの農場を彷彿とさせる建物はサイロ風のデザインで、周りの風景とよく調和している。レストランでは自慢のパスタ・グラタン・ピザ、自家製ケーキやチーズをぜひ味わいたい。小動物とふれあえる広場やホタルが自然繁殖する小川で楽しめるのも魅力。 野村農業公園・ほわいとファームのむらのうぎょうこうえん・ほわいとふぁーむ 酪農の里・野村町でとれた新鮮な牛乳を使い、無添加にこだわって、アイスやヨーグルトなど乳製品の製造・販売を行う施設。ヨーロッパの農場を彷彿とさせる建物はサイロ風のデザインで、周りの風景とよく調和している。レストランでは自慢のパスタ・グラタン・ピザ、自家製ケーキやチーズをぜひ味わいたい。小動物とふれあえる広場やホタルが自然繁殖する小川で楽しめるのも魅力。 田んぼで稲を刈り取って脱穀した後の藁を円錐状に積み上げた「わらぐろ」は、今では、コンバイン導入といった機械化で少なくなってしまった。昔ながらの冬の風物詩を残す目的で、宇和わらぐろの会が様々な活動が行っている。童話に出てくる藁小屋のような形状は、ほほえましく、詩情をくすぐる。実施は10月中旬~4月末。12月下旬〜1月上旬のライトアップも面白い。 |
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伊 方 町 |
アコウとは、クワ科で亜熱帯性の常緑高木。日本では国の天然記念物に指定されている巨樹で、佐田岬には7個体のアコウが自生している。テレビCMに登場したことから、知名度が上昇。何十本もの木がからまるように成長した太い幹は、生命力にあふれ、すさまじいエネルギーを感じる。 瀬戸内海国立公園に属し、日本一細長い佐田岬半島に立つ白亜の灯台。四国最西端の碑もある。晴れた日には豊後水道が一望でき、対岸にある九州佐賀関の煙突が見える。灯台までは、約1.8kmの遊歩道が整備されており、木々のトンネルのような道を歩く。展望台から透き通った青い海面を眺めると、日頃の疲れが溶け流されてしまいそうである。 須賀公園の大東亜戦争九軍神慰霊碑すがこうえんのだいとうあせんそうくぐんしんいれいひ 戦時中、佐田岬半島の三机湾をハワイの真珠湾にみたてて、密かに特殊潜航艇の訓練がされていた。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃の時、潜航艇に乗り組んで還らぬ人となった岩佐直治中佐ら9名は三机湾で訓練を行った。須賀公園の一角には彼らの慰霊碑が建立されている。 佐田岬半島を吹き抜ける強い風を利用し、11基の巨大な風車が立ち並んでいるエリア。展望台から眺める山の緑、海の青、風車の白が奏でる人工物と天然のハーモニーは雄大ですがすがしい。 |
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愛 南 町 |
台風や季節風から家や暮らしを守るため、軒に達するほどの石垣が囲み、独特の家並みを形成する。その景観から石垣の里として知られ、この集落は 「日本の美しいむら農林水産大臣賞」や「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている。アクセスは不便だが、わざわざ訪れる価値がある。 馬瀬山頂公園内にある回転昇降式展望タワー。360度パノラマで宇和海から九州までグルリと美しい景色が眺められる。タワーの高さと迫力は、南予レクリエーション都市のシンボルになっている。付近にある紫電改展示館も一緒に巡り、じっくりと愛南の魅力を感じ取りたい。 柏坂旧へんろ道とつわな奥展望台かしわざかへんろみちとつわなおくてんぼうだい 愛南町内海地域の柏地区から柏川沿いに、急勾配の「柏坂旧へんろ道」が続いている。野口雨情が訪れた時、この道の歴史に思いを馳せて「松の並木のあの柏坂、幾度涙で越えたやら」と詠った道だ。山道の中ほどにある「つわな奥展望台」からは、リアス式海岸の由良半島、晴れた日には水平線のかなたに九州佐賀関まで見える素晴らしい風景が広がる。問合せ/愛南町内海公民館 TEL0895-85-1021 愛媛の最南端に位置し、高さ100メートルを超える断崖が続く岬。冬には野路菊が咲き、海の色に白い花の色がいっそう映える。全国でも有数の鷹の渡りの拠点となっており、毎年秋には勇壮な鷹が飛び交う姿が見られる。日が沈む夕暮れどきはとくに美しく、あかね色に染まった海を見て感慨にふけるのもいい。 |
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八 幡 浜 市 |
おさかな牧場「シーロード八幡浜」おさかなぼくじょう「しーろーどやわたはま」 海にある浮き消波提を利用した釣り施設。釣り堀と外釣りがあり、幅広い年齢が楽しめる。季節の魚を釣るもよし、施設内の食堂で食べるもよし。海上散歩で潮の匂いと海風を肌に感じ、釣りの所作の観察や釣れた魚を季語にして一句したためたい。 平家落人たちの哀しい伝説が残る場所だが、現在ではそうめん流しが人気となり、地元の家族連れや観光客で賑わいをみせている。その当時は、昼夜の区別がつかないほどの入らず山であった。現在、隠れ里のわびしいイメージは、わずかに奥にたたずむ平家神社付近に残っている。夏の句材は豊富、落人の魂の声がきこえるかも。 ふたつの岩が向かい合っているところから「双岩」という地名のルーツになった岩。 つがいの竜の伝説が残り、その化身だといわれる奇岩である。周辺には双竜の滝や公園があり、緑に囲まれた景色の良さが味わえる。 保内の町並み・遊歩道もっきんろーどほないのまちなみ・ゆうほどうもっきんろーど 八幡浜市保内町は、四国で初めて電灯の火がともるなど、文明開化期をリードしていた。町にはその時代の優雅な建造物が残り、旧東洋紡績赤レンガ倉庫や旧白石和太郎邸洋館が有名。当時の繁栄の面影は、川沿いの350mも続く木製遊歩道「もっきんろーど」周辺に色濃く残る。桜の名所であり保内出身の富澤赤黄男碑のある琴平公園が近く、足任せに歩いても俳句のアイデアに尽きることがない。 |
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今 治 市 |
瀬戸内しまなみ海道の今治側の架橋地点となっている糸山公園は、日本三大急潮流に数えられる来島海峡を見下ろす高台に広がる。ここから、総延長4kmの雄大な来島海峡大橋の姿を間近で見られる。季節や時間によって様々に変化する、海峡と橋・船が織りなす風景が、感性を刺激する。 今治市と大島の間に位置する来島海峡大橋の中間にある島。島へは、橋の自歩道からエレベーターを利用して上陸できる。見上げれば、はるか上空に橋が天の川のように横たわる。青い海、その上に架かる長い橋と行き交う船が、景色にアクセントを与えてくれる。 日本総鎮守と呼ばれ、全国に一万社あまりの分社を持ち、古くから多くの信仰を集めてきた。宝物館には、国宝・重要文化財に指定された鎧・兜・刀剣類が数多く収蔵、展示されている。源義経奉納の「赤絲威鎧」、“瀬戸内のジャンヌダルク”と呼ばれた鶴姫着用の胴丸は、ウエストがくびれており必見。境内の中央に鎮座する、樹齢約2600年の神木である大楠のオーラに圧倒される。 標高232m、大島の北側に位置する。展望台から伯方大橋や、能島村上水軍の城跡が残る能島を一望できる。能島の周りに渦巻く激しい潮流は見る人に感動を与え、村上水軍の勇猛果敢な姿が目に浮かぶ。 標高307.8m、大島の南側に位置し、瀬戸内海国立公園に指定されている。箱庭のような見事な多島美と世界初の3連吊橋である来島海峡大橋が一望できる。パノラマ展望台ブリッジからの沈む夕日、ライトアップされた来島海峡大橋、今治市街地の夜景が心を浄化してくれる。 市民の森・フラワーパーク(市制50年記念公園)しみんのもり・ふらわーぱーく(しせいごじゅうねんきねんこうえん) ツツジ、ボタン、サクラ、フジ、クチナシ、キンモクセイ、ツバキなどが、季節を運んで咲き乱れる広大な植物公園。毎年、7月中旬〜10月下旬にかけて、南米原産のオオオニバスを楽しむことができる。自然林、遊歩道などが整備された人気の施設。入園自由。 住所/今治市山路662-1 問合せ/TEL0898-36-1563(今治市公園緑地課) タオルをテーマにした世界初の美術館。アイスクリームやケーキなどのオブジェが目を見張るコットンロードで、タオルアートの数々を堪能できる。タオルの製造工程を見学できるのも見どころ。ムーミンキャラクター達のブロンズ像が並ぶムーミンガーデンには、四季を通して様々な植物が植えられている。のんびり自然を満喫しながら、タオルアートの世界に浸ってみよう。 大島の沖合に浮かぶ周囲720mの能島に残る、瀬戸内海で大きな勢力を誇った能島村上水軍の居住跡。今は、船溜り跡の石塁や波打ち際に残る柱の穴が残るだけである。通常交通手段はないが、4月に行われる桜まつりの2日間だけはシャトル運行の船便が出て、桜が島全体を埋め尽くす。 体高120cm以下という、日本最小の在来種、野間馬を60頭あまり飼育している。乗馬したり、小動物と一緒に遊んだり、終日家族連れで遊べるファミリーパーク。園内に咲き誇る花々や動物たちが、季節の変化を感じさせてくれる。 CMでもおなじみ「伯方の塩」の製造工場。輸入天日塩田塩を日本の海水で溶かして再結晶させるまでの工程が見学できる。バリアフリーの見学コースからガラス越しに見える、自然乾燥している塩の山は迫力満点。かつて瀬戸内沿岸でよくみられた、昔懐かしい「流下式枝条架併用塩田」も見学できる。日常では目にすることのない情景が、詩情をくすぐる。 船で国指定史跡の「能島」周辺を周り、日本有数の潮流を間近で体験できる。ボランティアのガイドが同乗し、観光や歴史についての説明も。大潮時の潮の流れは9ノット以上で、海に段差ができるほど激しい潮流が見られる。大迫力の渦潮に、母なる大地の強さを見る。 後世に、戦国時代の海の大名と呼ばれ、海原を自由に駆け巡った村上水軍の実態が、貴重な文献や出土品から明らかになる。甲冑や小袖を着ることのできるわくわく体験ルームでは、当時の雰囲気が五感を使って味わえる。瀬戸内海を舞台に活躍した水軍の時代にタイムスリップして、一句。 約2.8ヘクタールの敷地に、世界の400種、3,500株のバラが色とりどりに咲き誇る。フランスのバラ園から移植された多品種のオールドローズが一堂に会するのは、国内でも珍しい。直径15mもある花時計や噴水、芝生広場があり、吟行地にもよく採用される。美しいバラの香りが、別世界へと誘う。 |
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上 島 町 |
塩田の開発や回船業などで繁栄した豪商で、島の名家であった三浦家の建物の一部を修復して資料館にしている。江戸時代には、参勤交代の際の島本陣として利用されていた。都会の喧騒から離れた、昔ながらの島の情景が堪能できる。多彩な歴史と文化が今も残る町並みが、心を和ませる。 岩城島の中央部にある積善山は桜の名所として有名。3000本のソメイヨシノ、オオシマザクラなどが山道沿いに並び、ぐるりと山を抱くように山頂まで花の帯が続いて見事である。 |
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西 条 市 |
「水の都」と呼ばれる西条市内の中心部にある。観音水のモニュメントをスタート地点とするアクアルートは、水と触れ合える親水公園として整備されており、のんびりと水辺の散歩を楽しめる。石鎚山が源の加茂川から地下に浸透し、地上に湧き上がった自噴水「うちぬき」が数カ所点在し、自由に飲むことができる。 四国唯一の大規模ビール工場。四国の美しい自然と共生し、楽しめるビール工場として見学できる。見学後には、できたてのビールの試飲もできる。おいしいビールに舌鼓して一句。 石鎚山サービスエリア(上り・下り)いしづちさんさーびすえりあ(のぼり・くだり) 一般道からも行ける松山自動車道のサービスエリア。駐車場からは西日本最高峰の石鎚山が眺められる自然豊かなサービスエリア。西に目をやれば、道前平野が開け、遠く松山方面の町並みを望むことができる。四季折々の雄大な自然に心が癒される。 石鎚登山ロープウェイ・石鎚神社成就社いしづちとざんろーぷうぇい・いしづちじんじゃじょうじゅしゃ ロープウェイとリフトを利用しながら、石鎚神社成就社までを歩けば、四季の木花や鳥のさえずりに出会える。石鎚山や瓶ヶ森、晴れた日には、美しい瀬戸内海から中国地方まで見渡せる。成就社にある見返遥拝殿の正面の向こうにご神体の石鎚山がそびえて圧巻だ。 続日本紀にも名が見える約1800年の歴史ある古社。加茂川沿いにあり、西条まつりの時は、だんじり・みこし合わせて80台余りの屋台が豪華絢爛に繰り出す。参道を進むと、立派なご神木の大楠が出迎えてくれる。神明造の社殿を囲む老樹が、いにしえの歴史を語ってくれる。 伊曽乃神社近くにあるこの寺を象徴する石庭は、伊予の青石を大小総て縦に組み合わせた特異なもの。室町時代の作とされ、足利義満の命により宗阿弥が築造したものと言われる。国指定の名勝で、四国最古の名園である。変化に富む石組みには、枯山水を思わせる趣がある。 標高1896m、西条市の南境、石鎚山脈にある山で、頂上には平坦面が開ける。壮大な笹原にウラジロモミの白骨林が点在し、“天上の楽園”とたとえられるほどの美しい景色。北側に瀬戸内海、南側に四国山地と対照的な眺望が、季節や時間の変化と共に様々な表情を見せてくれる。駐車場から山頂まで歩いても20〜30分、ハイキング気分で登れるのもうれしい。 展示の目玉は、新幹線電車の初代タイプである「0系」の先頭部分と、「DF50形電気式ディーゼル機関車」の1号機。その他にも、鉄道に関する貴重な資料を展示している。間近で列車を見たり、触れることで、鉄道の世界に浸れる。館内に漂うレトロムードが、古き良き時代へとタイムスリップさせる。 古来、霊地として信仰を集め、国宝・文化財も数多くあり、年間を通して参拝、観光客が多く訪れている。本堂・銅鐘・宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、重要文化財。四季折々の景色も格別で、特に境内に植えられた100本のモミジは有名。境内で楽しむ紅葉もまた格別である。 |
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四 国 中 央 市 |
明治5年創業の蔵元で、全国新酒鑑評会では30回の金賞を受賞している。製造工程を学んだり、酒蔵や建物内部を見てまわり、試飲することもできる。伝統を礎にしながら、新しい時代の空気が感じられる酒造りを行っていて、緻密な酒造りに向き合う杜氏の思いに触れる。 銅山川を塞き止めた人造湖で、水源地としてふさわしい環境を極力保持しながら、自然と触れ合える場所となっている。湖畔には、梅や桜も咲く。標高290mの湖面は、山々の緑を映し出し、真紅の平野橋と見事なコントラストを描き出している。 3ヘクタールの敷地一面に、春は菜の花、秋には早咲きのコスモスが咲き誇る。瀬戸内海や四国山脈まで見渡せる眺望には息を飲むほど。高原の澄んだ空気の中で満開の花に心を和ませよう。 |
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新 居 浜 市 |
大山積神・雷神・高おかみ神を御祭神と祀り、新居郡一ノ宮として崇敬をうけた。広い境内には、国指定天然記念物の約90本のクスノキの大群落が形成されており、拝殿脇の「一番楠」は目通しが9.4mもある。圧倒的な存在感で、周囲を神聖な雰囲気に包み込む。 曹洞宗の古刹。明治30年に専門僧堂を開設し、禅門修行道場として広く学僧が出入りし、一般参禅者も後を絶たない。老松・檜に覆われた参道を進めば、約5ヘクタールの境内に本堂、庫裏、僧堂が立ち並ぶ静謐なたたずまいに気持ちが引き締まる。本堂近くの樹齢800年を数える大銀杏は、県指定天然記念物であり、葉が色づく頃には、より一層趣を増す。 住友の近代化を推し進めた住友初代総理事、広瀬宰平の活躍ぶりがわかる展示館。国の重要文化財に指定されている旧広瀬邸は、伝統的な日本の建築様式と西洋の新しい文化が見事に調和した、趣のある建物。2階の望煙楼から眺める庭園が、見る者の心を和ませる。 別子銅山の歴史や技術に関する貴重な資料を展示する記念館。日本経済発展に貢献した、別子銅山の栄光の歴史が甦る。建物は、鉱山抗内をイメージさせる独特の半地下構造になっている。屋根には別子銅山が開坑された5月にちなみ、サツキが1万本、周囲にも3000本植えられていて、市内随一のサツキの名所である。 国領川上流に架かる朱色鮮やかな生子(しょうじ)橋から、落差約60mを誇る清滝、マイントピア別子を含む約10kmの渓谷景勝地である。春の桜、夏の新緑、秋の紅葉と四季折々の景観美が、訪れる者の目を楽しませてくれる。 別子ライン沿いの、別子銅山の最後の採鉱本部が置かれた端出場にあるテーマパーク。鉱山鉄道に乗ったり、砂金採りをして鉱山観光が楽しめる。芍薬・鹿の子ユリ・冬桜など、四季折々の花を眺めながら散策を楽しめる。繁栄の名残と自然環境が、異次元の世界へとタイムスリプさせる。 マイントピア別子東平ゾーン・東平歴史資料館まいんとぴあべっしとうなるぞーん・とうなるれきししりょうかん 標高約750mの山中にある、大正5年〜昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた場所である。最盛期には、社員・家族を含め約4,180人が周辺の社宅で共同生活をしていた。風化の痕跡を残しつつ現存する様は、“東洋のマチュピチュ”と呼ばれ、まるで眠れる天空の産業都市。ここだけ時間が止まったような錯覚に陥る。 春には、約100本のソメイヨシノやヤマザクラが咲き誇る運動公園。昭和3年完成の山根グラウンドには、住友各企業社員のボランティアによって建設された石積みの階段状の観客席が残る。住友従業員の運動会が毎年盛大に行われた。石積みの観客席に座れば、昭和初期の光景が目に浮かぶ。 |
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砥 部 町 |
梅野精陶所(梅山窯)・梅山古陶資料館うめのせいとうしょ(ばいざんがま)・ばいざんことうしりょうかん 老舗の梅野精陶所では、白磁に呉須の伝統的な砥部焼を製造しており、職人さん達の手仕事を見学できる。昭和35年まで使われていた大登窯も保存されている。資料館は敷地内にあり、砥部焼の歴史を知るのに、貴重な品々を展示している。民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦の書や、砥部に来て指導した濱田庄司・富本憲吉などの作品も見られる。 広大な敷地に約160種類800頭もの動物が暮らす四国最大の動物園。好きな動物たちを間近で観察することができる。動物たちと触れ合う様々なイベント企画も充実。季節ごとに移ろう周辺の植物も見どころ。子供からお年寄りまで楽しめる、俳句制作のインスピレーションの宝庫である。 「念ずれば 花ひらく」で知られる詩人、坂村真民の記念館。直筆の書や愛用品を展示しており、厳しい生活から生まれた真実の言葉に出会える。素朴で清澄な空気に満ちた場所で、ゆっくりと詩の世界に浸れば、新しい言葉が舞い降りてくるようだ。 坂村真民記念館の横から陶祖ヶ丘、砥部町陶芸創作館まで続く約500mの陶板の道。遊歩道に敷き詰められた地元の陶工が絵付けした580枚の陶板は、一つひとつ異なる絵柄が見る者を楽しませてくれる。歩いて焼き物の感触を味わいながら、アートに触れよう。 約30種類・1万6000本の梅が咲き誇り、梅まつり(2/下〜3/上)の時期には、梅加工品の販売も行われる。七折小梅は、砥部町の特産品で品質の高さから「青いダイヤ」と呼ばれている。園内の遊歩道を散策して、凛とした紅梅・白梅を愛でよう。 |
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伊 予 市 |
美しい社叢と銘樹の藤が有名。県指定の文化財である楼門をくぐると、石造りの狐が迎えてくれる。本殿前庭には全国でも珍しい狐像があり、神々しい雰囲気が漂う。境内には、京都から移し植えたと言われる樹齢270年ほどの藤が3株ある。 大谷池は、全国屈指のため池で、秋から冬には多くの渡り鳥が泳ぐ姿が見られる。池のほとりの自然を活かした公園がえひめ森林公園で、フィールドアスレチックやキャンプ場などが整備されている。体力、時間、目的に合わせて遊歩道を巡ることができる。マイナスイオンを浴びながら、木霊と一緒に一句。 平家の美しい姫が身を投じて五色の石になったという伝説が残る五色浜。隣接する公園は、波静かな瀬戸内海に浮かぶ島々の姿、心和む情景に出会うことができる場所。白浜が美しい海水浴場でもある。美しい松林の中に歴史を伝える記念碑が多くある。大洲藩の物資の積出し港にあった旧灯台が歴史を物語る。 秦皇山・秦皇山森林公園しんこうざん・しんこうざんしんりんこうえん 林業が盛んな中山町を代表する山。中腹には、田園や野菜畑が一面に広がる集落があり、山と人とが上手に共存している様子が分かる。秋には、日本一と名高い特産「中山栗」が、枝にたわわに実る。奥深い自然が創作意欲をかき立てる。頂上付近には、キャンプ場などアウトドアを満喫できる森林公園もあり、展望台からは360度のパノラマが広がる。 地域の中でも夕日が最も美しく見えるスポットとして有名で、「日本の夕日百選」にも選ばれている。「恋人の聖地」の認定を受け、カップルたちの人気スポットになっている。公園の前を走る夕やけこやけライン沿いには、菜の花・桜・芙蓉・水仙と季節の花々が目を楽しませてくれる。慌ただしい日常を忘れ、吟行のドライブに出かけよう。 |
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久 万 高 原 町 |
標高1982m、西日本最高峰。日本七霊山のひとつにも数えられる信仰の山として嵩められている。石鎚スカイライン沿い土小屋からは、四季を通じて変化に富んだ特有の風景を楽しむことができる。咲き誇る季節の花々は、四季折々の席題で溢れている。道後平野に住む者も、石鎚の雪化粧に冬の訪れを感じる。 四国霊場88カ所、第45番札所(山号:海岸山)。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ。一遍上人が参籠・修行したことは、「一遍聖絵」にも描かれている。麓の駐車場から本堂までは、深山幽谷の中を霊気に満ちたのぼり道が続く。四季折々の自然と、弘法大師に支えられた周辺住民の暮らしに触れられる場所でもある。 石鎚山の南麓、面河川源流から約10kmに渡る渓谷で、滝・早瀬・淵など変化に富んだ渓谷美が続く。自然の芸術品とも言える奇岩や甌穴、多種多様の動植物など、第一級の自然を目の当たりにできる全国的にも珍しい場所。紅葉の名所として有名だが、新緑の季節もひときわ美しく、新樹光が創作意欲をかき立てる。 昭和36年に発見された遺跡で、1万2千年前の縄文草創期から後期にわたる複合遺跡。日本最古の犬の化石が発見されたことでも有名。発掘された土器・矢じり・石器類など、出土物を考古館で一般展示している。太古の祖先に思いを馳せて一句。 久万高原ふるさと旅行村(久万高原天体観測館)くまこうげんふるさとりょこうむら(くまこうげんてんたいかんそくかん) 山間部の人々の暮らしを追体験して、幼い頃の追憶にひたれる場所。体験型施設貸別荘やキャンプ場もあり、静かな自然の中で宿泊もできる。天体観測館も併設されており、プラネタリウムで、その季節の星空を解説している。 古岩屋(国民宿舎 古岩屋荘)ふるいわや(こくみんしゅくしゃ ふるいわやそう) 60〜100mもの高さを誇る迫力の岩峰が連なる国の名勝地。4500万年以上前の地層から形づくられた円錐状の奇岩がいくつも重なりそびえている。岩肌にはセッコウ、イワヒバなどが着生している。迫り来る岩と川のせせらぎ、静と動の自然美が感覚を刺激する。すぐ近くには国民宿舎古岩屋荘があり、自然石を使った岩風呂が人気。 |
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東 温 市 |
皿ヶ嶺への登山口周辺に整備された公園にある岩穴で、四季を通してほぼ一定の風が吹き出すことから「風穴」と呼ばれる。夏になると外気との温度差によって霧が発生し、高山植物のヒマラヤケシの青い花が咲く。山の呼吸を感じながら、神秘的な夏を楽しめる場所。 四季折々に美しい景色を楽しめるが、とりわけ冬の滝の水が凍り付いた姿は、滝全体が氷の彫刻のように見えて幻想的。正岡子規や夏目漱石もこの地を訪れ、多くの俳句を残している。彼らも見たであろう96mから落下する滝が、自然の偉大さを感じさせる。子規や漱石になった気分で、自然の偉大さを詠む。 見奈良コスモスまつり・見奈良菜の花まつり(坊っちゃん劇場)みならこすもすまつり・みならなのはなまつり 約1.8ヘクタールの広大な敷地に毎年9月中旬〜10月中旬にかけて約100万本のコスモスが見頃を迎える。3月上旬〜4月上旬には約100万本の菜の花が咲き誇る“菜の花まつり”も開催される。風に吹かれながら咲き誇る季節の花々に、詩情があふれる。 |
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松 山 市 |
秋山好古と弟・眞之が生まれた場所に、平成17年1月、生家と銅像などを全国からの寄付金により復元。直筆の書や史料、好古書の石碑写真などが展示され、ボランティアのガイドが丁寧に説明してくれる。兄と弟の銅像は、向かい合って目線が合うように置かれ、過ぎし日を語り合っているかのようだ。眞之の胸像は、成績向上を願う若者たちのパワースポットになり、像の手は触れられて、つるつるに光っている。 真言宗豊山派の古刹で、四国霊場51番札所。6万6000m²と広い境内には国宝の仁王門、重要文化財の本堂や三重塔などの建物に加えて、ユニークなオブジェなどもあり不思議な空間となっている。木立に香る線香と多くのお遍路や観光客でにぎわい、多くの句材と出会える。 「まっすぐな道でさみしい」などの自由律俳句で著名な種田山頭火が念願 の“コロリ往生”した終焉の地である。再建された庵に隣接する休憩所に、山頭火関連の資料を展示しており、土・日曜、祝日は庵の内部が見学できる。 伊豫豆比古命神社(椿神社)いよずひこのみことじんじゃ(つばきじんじゃ) 旧暦1月7日〜9日には伊予路に春を呼ぶ「椿まつり」(通称・椿さん)が開催される。「椿さん」のころが一番寒く、「椿さん」が終わると春がくると言われる程に、地元民の身近な存在。数多くの句碑玉垣が並ぶ。 いよてつ髙島屋屋上にある大観覧車”くるりん”。下から眺めた風景を詠む人が多く、観光俳句・日記俳句・記事俳句など旅の思い出の一句を作るならココ。 堀之内公園の中に、城郭の景観と調和して立つ、参加創造型の美術館。モネの『アンティーヴ岬』、セザンヌの『水の反映』をはじめ、横山大観、安井曾太郎、愛媛出身の畦地梅太郎、真鍋博といった国内外の秀作や郷土ゆかりの作品約11,000点を収蔵。ガラス張りのエントランスは、館内側から見ると木漏れ日が心地よく、公園側から見ると二之丸史跡庭園の四季を反射させ、季節の移り変わりさえも芸術的。 迫り来る山々や谷あいは、雄大な自然に包まれたような錯覚さえ覚える立地。春には辺り一面に咲き誇る桜をはじめ、遊歩道の藤棚、初夏にはサツキやツツジ、秋には紅葉と、一年を通して花景色が堪能出来る。渓谷美に彩られた湧ヶ淵には、大蛇伝説が残っている。 北条地区の沖合約400mにある周囲約1.5㎞の小島。春は桜と新緑、夏は海水浴とキャンプ、秋は紅葉、そして冬の釣りと、四季を通しての魅力がいっぱい。島の名の由来となった野生の鹿も多く生息している。夏は海風、秋は鹿、春に子鹿などの季語が考えられ、通年で様々な表情が楽しめる。 栗田樗堂は、江戸時代の松山を代表する俳人で小林一茶と交流があった。樗堂が、寛政12年(1800)、名利を捨て、俳諧に専念するために建てた草庵が庚申庵で、「市中の隠」の風情が味わえる。現在は庚申庵史跡庭園として整備されている。庭にある樹齢200年以上といわれるノダ藤は、4月下旬頃に見頃をむかえ、とりわけ美しい。 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアム。小説の主人公である秋山兄弟と正岡子規の足跡や、明治という時代に関する展示に加え、建築家・安藤忠雄氏設計のお洒落な外観も目をひく。館内の展示室は緩やかなスロープでつながり、スロープの壁面には産経新聞の夕刊に掲載された小説が掲げられ、長大な小説のスケールを感じることができる。また、毎年異なったテーマを設け開催される企画展も見応えがある。 正岡子規が17歳で上京するまで暮らしていた旧宅を正宗寺の境内に復元。いたる所で子規に思いをはせることができる。展示されている当時の坊っちゃん列車の客車に乗り、彼が見たであろう風景を想像するのもまた一興。9月には、大きな糸瓜も見物である。 松山城の本丸、二之丸、三之丸を含めた都市公園。三之内はフラットな芝生が広がり、週末になると様々なイベントが催されて活気づく。ゆったりした時間の流れの中、ベンチに座ってアイデアを句にまとめる場所におすすめ。 清楚で風情の感じられる日本庭園風の公園。弘法大師が杖を突き立てた所から水が湧き出したという伝説から命名された。環境省選定の名水百選に選ばれた湧き水を活かした湧水池や親水広場などがあり、憩いの場として広く親しまれている。 四国霊場46番札所。市街地から遠くないアクセスでありながら、うっそうとした森に入り込んだような厳かな雰囲気が漂う。独特なスピリチュアル空間で、ここにたたずむと感覚が研ぎ澄まされるような空気を味わえる。 ターナー島(四十島)・白石の鼻巨石群たーなーとう(しじゅうしま)・しらいしのはなきょせきぐん 四十島は、夏目漱石が小説『坊っちゃん』の中で、島に生えている松の形がイギリスの画家・ターナーの絵に似ていると表現したことから、ターナー島の愛称を持つ。近くにある白石の鼻巨石群は古代ロマンが議論されている場所。昼間もさることながら、水面に揺れるお月様が宙に浮いているように見え、月夜の晩に景色と遊ぶ気持ちで訪れてみても面白い。 道後の玄関口にふさわしい、明治浪漫の香り漂うモダンな駅舎。道後温泉駅の前や道後温泉本館前には人力車が並び、行き交う様子が吟行気分を高めてくれる。付近は風情がある路地もあり、歩きながらアイデアを練ってはいかがだろう。 3000年以上の歴史を誇る、国内最古の温泉。温度が43度と少し熱めで深い湯船に身を沈め、温泉にあやかってこんこんと沸くように俳句をひねってほしい。建造物の歴史とスケールの大きさ、湯上がりに頬をなでる風は句心をそそられる。日本唯一の皇室専用浴室、又新殿(ゆうしんでん)の見学もお忘れなく。 希少性の高い和ガラス工芸品を集めた美術館。美しい庭園の中にあり、日没後は、玄関や中庭の幻想的なイルミネーションも楽しめる。平成19年に道後温泉本館倉庫から発見された、ギヤマンも展示されており、温泉街に流れてきた時を感じられる。 湯築城は、伊予の豪族河野氏が道後に築いた中世の平城であり、城跡は、桜の名所となっている。散る桜、ツツジやスイレン、秋に飛び交う鳥々と、四季折々の楽しみがある。運がよければ遭遇できるカワセミをぜひ詠んでほしい。 「日本騎兵の父」「最後の古武士」といった異名をもつ軍人・秋山好古、俳人・中村草田男、道後湯之町の初代町長で命をかけて道後温泉の改築に尽力した伊佐庭如矢らが眠る松山市の市営墓地。高台にあり、あたりを一望できる。 ドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地となり、一躍全国に名をはせた駅。20年たった今もホームにハンカチを結ぶ人が絶えない。近くにある梅津寺公園は、紅梅・白梅150本、桜600本、つつじ、つばきなどが季節を追って彩り、海に臨む公園はロマンティックな雰囲気をかもしだしている。 大正11年に旧松山藩主の子孫・久松定謨伯爵の別邸として建てられたフランス風の洋館。当時は社交場として各界の名士に利用されていた。平成23年11月に国重要文化財に指定された。 夏目漱石の小説『坊っちゃん』の主人公が乗り「マッチ箱のような汽車」と表現したことから、いつしか「坊っちゃん列車」という愛称で親しまれるようになった列車を復元。レトロな装いで市内を走っているのがかわいい。漱石先生がこれに乗り、道後温泉に向かったであろう昔日に心情を重ねてみよう。 偉大な俳人子規の一生を資料、レプリカ、パネル、映像でわかりやすく展示しており、見応えあり。じっくり読み込むと深く感じ入る。館内は、重厚な雰囲気が漂っており、子規に挑む気持ちで本気で巡れば、それに応えてくれる充実と迫力がある。 松山を訪れたなら必ず訪れたい場所。各櫓、城門、天守など21棟の建造物が重要文化財になっており、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡、日本さくら名所100選に選ばれている。子規の「松山や秋より高き天主閣」を思い浮かべながら、一句詠んで持ち帰りたいものである。 藩主の嫡子の邸であった二之丸の間取りを遺構の上に表現している二之丸史跡庭園は、俳句になる素材がコンパクトにある。サザンカ、ツツジ、アセビ、コデュリ、キキョウ、モッコウ、サルスベリ、ハギ、キンモクセイなど植物と果実が季節ごとに見られ、まさに季語の宝物庫。紅葉も梅も美しい。 松山市制100周年を記念して造られ、平成元年に開園した都市公園。園内には季節に応じてサクラ、ヤマブキ、ヒラドツツジ、キョウチクトウ、サルスベリ、ミヤギノハギ、カンツバキ、ソシンロウバイ、クリスマスローズ、サンシュユ、アンズなどが咲く。山頂にある展望台は、姉妹都市フライブルグとの友好関係の象徴としてヨーロッパの城をイメージしている。 道の駅 風早の郷「風和里」みちのえき かざはやのさと「ふわり」 緑あふれる山々と美しい斎灘(いつきなだ)に面し、青空市場や物産売場では、地元産の新鮮な海と山の幸をはじめ、旬の果物や草花の苗木、特産品が所狭しと並んでいる。10月下旬から2月中旬にかけて瀬戸内に沈む「だるま夕日」が見られる。 松山港内港の三津と港山の間約80メートルを結ぶ500年の歴史をもつ渡し船。年中無休、無料で年間約5万人の利用者に親しまれている。数分の乗船時間ながら、対岸に渡るすべとして、なくてはならない存在だった頃から今もかわらぬ風情が感じられる。 明治28年から道後で営業する造り酒屋。清酒「仁喜多津」のブランドを守り、伝統的な酒造りを行う一方で、地ビールやカレー、化粧品といった新しい人気の商品を生み出し続けている。ビール工場は予約制で見学できる。自らの句で日本酒のオリジナルラベルの作成も可能。 文政11年に松平定通公が、藩士の文武稽古所として二番町に建てた藩校の講堂。ここでは、秋山好古など多くの先人たちが学んだ。昭和12年に移築され、松山東高等学校敷地の一角に現存する。隣接する資料館には、夏目漱石の欠勤届や正岡子規の書簡や秋山真之の成績表など貴重な品が見られる。見学は平日の9時〜16時45分まで、希望日の1週間前までに学校の承諾が必要。 日露戦争当時、日本で初めて松山にロシア兵捕虜収容所が造られた。ロシア兵墓地は病などで命を落とした捕虜の墓所。捕虜の処遇は国の方針や地元のおもてなしの心によって寛大に扱われ、外出は自由で温泉、観劇などを楽しんだという。墓碑は遠く故国ロシアを望み北向きになっており、現在でも地域住民や中学生の手により清掃が続けられており、市民の温かさに心が洗われる。 |
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