阪本謙二さかもと けんじ
「櫟」主宰 松山俳句協会会長

子規は明治二十八年十月六日、ここの山門に腰をかけて「色里や十歩はなれて秋の風」の句を作った。色里からほんの少ししか離れていないのに秋風の吹く静寂の別世界を感じた。そして、現在も道後の賑わいから幾らも離れていないこの地に、その同じ静寂があると思う。
境内はいつも箒目も鮮やかに掃かれ、著名人の句碑や歌碑がさりげなく片隅に建つ。緑陰に腰を下ろし、涼しげに並んでいる飛び石や遠く瀬戸の海を眺める。裏山の墓地では、先人たちのつぶやきに時々鳥の騒ぎが混じる。
そして秋も深まり、境内に銀杏の降りしきる様は、これぞ一遍上人の教えと言うべく、金色の舞う遊行のひとときとなるのである。
踊りねんぶつ黄落のとめどなし(謙二)