相原左義長あいばら さぎちょう
「海程」愛媛支部長


九軍神が発表になってもその訓練基地が愛媛県の三机(みつくえ)で戦前(昭和14年)から必ず生きて帰らぬ特殊潜航艇乘組みが始っていたとは全く知らなかったし、一艇に二人乘りで五艇行けば十軍神ではないか、等々愛媛県人は誰一人知らなかった。その軍神となるべき人達をお世話したのが岩宮旅館(軍神宿と言う)である昭和20年8月まで17期つづくことになる。三机須賀の森に「九軍神慰霊碑」が立っている。そして軍神宿も代が変り孫の時代となり九軍神のことも忘れられようとしている。愛媛県となれば九軍神と三机を上げておきたい。少し遠いが心に残る。また、海軍最後の局地戦斗機紫電改展示の馬瀬山と鳥の渡りが見える高茂岬(こうもみさき)、そして西条楢本神社の五軍神碑もおすすめしておきたい。
一草庵
庚申庵


道後湯之町旅館街うらの小高い丘にある近辺では一番大きい墓地と思う。松山市は「坂の上の雲」のまちづくりを目ざしている関係でこの墓地には秋山好古大将の墓がある為、道路や駐車場が整備され上りやすくなった。吟行地としては昔のあえぎながら上った方がいい感じがする。その為か古い道も残されている。墓は地下に眠っている人の生前を尋ねるには一番近い所である。秋山好古は陸軍大将であるが墓碑は1メートル足らずの低いものだ。「肉弾」で有名な桜井忠温は横になって「桜井忠温ねむるところ」となっている。中村家の墓には草田男の分骨がまつられ、二男陸士、三・四男が海兵卒三人共に戦闘機乘りの二神三兄弟の墓、正岡家は正宗寺、梵は常信寺。