ここも見ておきたい!愛媛のお城

復元されたお城も一見の価値あり

松山城や宇和島城のように江戸時代の天守は残っていませんが、天守が復元された今治城や大洲城、川之江城、国史跡の湯築城跡もそれぞれ特徴のある城の姿を今に伝えています。館内の資料展示や眺望もお見逃しなく。
藤堂高虎が築城した守りの固い城
藤堂高虎が慶長7(1602)年から5年の歳月をかけて築城した今治城は、高松城、中津城と並ぶ日本三大海城です。かつては内堀・中堀・外堀の3つの堀が築かれ、日本最大級の船入を備えた大規模な海城でした。現在残っているのは内堀のみですが、幅50~70mもある広い堀やその先に見える高い石垣などに、守りを固めるための工夫した造りが見られます。堀に海水が引かれているのも特徴で、淡水魚もいれば、クロダイやフグなど海の魚も泳いでいます。天守や多門櫓、山里櫓、鉄御紋など、城内の建物は現代になってから再建・復元されたもの。いずれも内部を見学できます。天守には歴史資料が展示されており、最上階は展望台になっています。日没30分後から23時までライトアップされ、城が立体的に浮かび上がる夜景が楽しめます。
肱川の畔に四階四層の天守
大州の中心部を流れる肱川の畔、小高い山の上に天守がそびえる大洲城。創建は元弘元(1331)年といわれ、文禄から慶長にかけて藤堂高虎らによって大規模な修築が行われました。当時は天守、高欄櫓、台所櫓が並んでいましたが、明治時代に天守は取り壊されてしまいました。平成16(2004)年、築城当時の雛型や歴史資料を元に伝統的な工法によって木造の天守を復元。天守内では、その見事な木組みや、築城の様子を表現したジオラマなどの資料を見ることができます。四階四層の最上階から肱川を望む眺望も見逃せません。万延元(1860)年に再建された高欄櫓と安政6(1859)に再建された台所櫓は国の重要文化財。また二の丸にある苧綿櫓は天保14(1843)年に、三の丸南隅櫓は明和3(1766)年に再建されたもので、これらも国の重要文化財に指定されています。毎月第3土曜日には「大州藩鉄砲隊」による火縄銃の演武が見られ、「輪ゴム火縄銃体験」も開催されています。
中世の城跡に武家屋敷の復元
伊予国の守護・河野氏が14世紀前半から16世紀末まで居城とした湯築城。堀や土塁などの遺構が残っており、遺構の平面展示や全国的にも珍しい土塁の断面展示などがあります。当時の工法で復元された武家屋敷内に、その時代の生活も再現。道後公園湯築城跡として整備され、国史跡、日本の100名城、日本の歴史公園100選に選定されています。道後温泉本館からほど近くに位置するので、道後散策の際にはぜひお立ち寄りを。花見の名所としても知られています。
復元天守の最上階は展望台
標高62mの鷲尾山に建つ川之江城は、1337(延元2)年に伊予の大守・河野氏が讃岐からの侵略に備えて築かせた城。四国の要所に位置しているため、幾度となく戦火に遭いました。1986(昭和61)年、城跡に天守や涼櫓、櫓門、空塀などが復元。天守最上階は展望台になっていて、四国中央市の工業地帯や瀬戸内海を一望できます。春は桜、秋は紅葉に彩られた景観が楽しめます。