「九州・中国のかなめ所」と豊臣秀吉朱印状に記されるように、伊予は西国の押さえとして最重要視された地域でした。関ケ原合戦の後、その九州と中国をにらむ絶好の場所に、加藤嘉明により築かれたのが松山城です。嘉明は慶長7年(1602)、松山平野の中心にある丘陵の勝山に築城を始めます。その後、蒲生忠知を経て、徳川家康の甥に当たる松平定行が入り、以降幕末に至るまで御家門の久松松平家の居城となりました。
本展覧会では、初期の松山城の姿からその歴史的変遷を、元禄期(1688〜1704)の松山を鳥瞰して緻密に描いた松山城下図屏風をはじめ、各時期の城下絵図を通じて紹介します。江戸時代が安定期に入った貞享4年(1687)には、4代藩主松平定直が二の丸から三の丸に御殿を移して、藩政の中枢とします。藩主の生活の場でもあった三の丸御殿については、御殿の北側部分とそれに面した池水庭園を描いた「三之丸絵」を展示します。また、初代藩主松平定行は、家督を嫡男の定頼に譲って松山郊外の東野に退き、御殿を建築するとともに茶室を設けるなどして、隠居生活を送ります。松山という近世都市の郊外に現れた別荘についても新たな要素として注目します。
新しく発見された旧松山藩主久松家歴史資料も展示することで、最新の研究成果から松山城とその城下町の姿に迫ります。
本展覧会では、初期の松山城の姿からその歴史的変遷を、元禄期(1688〜1704)の松山を鳥瞰して緻密に描いた松山城下図屏風をはじめ、各時期の城下絵図を通じて紹介します。江戸時代が安定期に入った貞享4年(1687)には、4代藩主松平定直が二の丸から三の丸に御殿を移して、藩政の中枢とします。藩主の生活の場でもあった三の丸御殿については、御殿の北側部分とそれに面した池水庭園を描いた「三之丸絵」を展示します。また、初代藩主松平定行は、家督を嫡男の定頼に譲って松山郊外の東野に退き、御殿を建築するとともに茶室を設けるなどして、隠居生活を送ります。松山という近世都市の郊外に現れた別荘についても新たな要素として注目します。
新しく発見された旧松山藩主久松家歴史資料も展示することで、最新の研究成果から松山城とその城下町の姿に迫ります。
- カテゴリ
- 体験・ワークショップ
| 開催期間 | 2026年9月19日~2026年11月23日 |
|---|---|
| 開催時間 | 9:00~17:30分(展示室への入室は17:00まで) |
| 開催場所 | 愛媛県歴史文化博物館 企画展示室 |
| 住所 | 愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2 |
| 電話番号 | 0894-62-6222(愛媛県歴史文化博物館) |
| 休業日 | 休館日:9月24日(木)、9月28日(月)、10月6日(火)、10月13日(火)、10月19日(月)、10月26日(月)、11月4日(水)、11月9日(月)、11月16日(月) |
| 料金 | 【特別展観覧券】大人(高校生以上)650円/小・中学生400円/65歳以上400円 |
| アクセス | JR卯之町駅から車で約5分 西予宇和ICから車で約5分 |
| 駐車場 | あり 150台 |


