伊予郡砥部町
道ばたに大森彦七曼珠沙華みちばたにおおもりひこひちまんじゅしゃげ
富安風生トミヤスフウセイ
大森彦七は伊予の武士。南北朝時代、湊川の合戦で楠正成を切腹させて名をあげたが、後に逆賊と見なされた。風雪にさらされた供養塔の姿の哀れさは、「道ばた」という言葉に言い込められていようか。曼珠沙華の赤は寂しい華やかさの赤でもある。富安風生は、愛知県生まれ。俳誌「若葉」を主宰した。
句碑データ
- 住所
- 宮内 大森彦七供養塔下石材店から道路を隔てて斜め前
- 建立年
- 昭和50年
- 建立者
- 愛媛若葉会
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