愛媛の句碑めぐり575

南宇和郡愛南町

可ら鮭や市耳かく連天貧尓處すからさけやいちにかくれてひんにしょす

正岡子規マサオカシキ

南宇和郡愛南町

竹一本葉四五枚に冬近したけいっぽんはしごまいにふゆちかし

夏目漱石ナツメソウセキ

南宇和郡愛南町

時鳥川上へ啼移る朝乃窓あけて居るほととぎすかわかみへなきうつるあさのまどあけている

河東碧梧桐カワヒガシヘキゴトウ

南宇和郡愛南町

蝶墜ちて大音響の結氷期ちょうおちてだいおんきょうのけっぴょうき

富澤赤黄男トミザワカキオ

南宇和郡愛南町

泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬおよぎめのくずかくるまではじらいぬ

芝不器男シバフキオ

南宇和郡愛南町

う多は連天孤高をかしや樓二月うたわれてここうおかしやろうにがつ

松根東洋城マツネトウヨウジョウ

句碑は神社の石段下駐車場、入り口左手にある。六角柱でそれぞれの面に句が刻まれている。○碧梧桐の句は、大正13年作。『碧』に発表したものである。○芝不器男は松野町出身。瑞々しい珠玉の作品を残し26歳で夭折した。昭和2年作。この年、「葉桜」「天の川」の課題選者となった。○富澤赤黄男の代表作のひとつ。昭和16年、「旗艦」に発表された句。赤黄男は斬新な句を詠み新興俳句の旗手といわれた。○漱石の句。「冬近し」は秋の季語。「竹一本葉四五枚」に寒々と風に鳴る葉の動きが表現されている。大正4年作。○子規の句。乾鮭は、鮭の内臓を除いて、開くかそのままで天日と風で干し上げたもの。明治30年作。○東洋城の句。東洋城は、判事であった父に伴い、少年時代を愛媛で過ごした。大洲小学校、松山中学校に学ぶ。松山中学校で夏目漱石を知り、その後俳句の指導を受けるようになった。明治27年の作。

句碑データ

住所
城辺甲矢の町1782 諏訪神社
建立年
昭和62年11月
建立者
伊予拓本研究会

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