愛媛の句碑めぐり575

松山市

道の辺に阿波の遍ん路の墓あはれみちのべにあわのへんろのはかあわれ

この松の下にたゝすめは露のわ連このまつのしたにたたずめばつゆのわれ

高浜虚子タカハマキョシ

虚子の句が2句刻まれている。幼年時代、虚子は北条の柳原西の下(にしのげ)で過ごした。父親が明治維新後に移り住んだからである(後に松山に移る)。幼い頃に見た西の下の風光、例えば河野氏の城址であった高縄山、腰折れ山、海に浮かぶ鹿島、小鹿島、また道ばたで亡くなった阿波の遍路への思い等。これらは虚子の心の原風景であろう。この句碑は、虚子の句碑第1号で昭和3年に建立された。「道の辺の」の句は、昭和30年に追刻された。

句碑データ

住所
柳原637付近 西ノ下大師堂
建立年
昭和3年
建立者
仙波花叟ほか

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